放火罪・失火罪

現住建造物等放火罪(108条)、非現住建造物等放火罪(109条)建造物等以外放火罪

①所有者の承諾

「現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物」(現住性)等に対する放火が重く処罰されるのは、現住者の生命、身体に対する抽象的危険性がより現実的だからである。したがって、現住者等が承諾している場合には、危険性は高くなく、現住性は否定される。また、建造物等に対する所有権も放棄されているから、「自己の所有に係るとき」(109条2項)と同視でき、109条2項の構成要件に該当すると解する。

②現住性

「現に人が住居に使用し」とは、当該建造物等が、日常、人の起臥寝食に利用されるという、建物の性質をいう。したがって、普段寝泊りしている従業員を旅行に連れ出しても、普段起臥侵食に利用されている点に相違はなく、現住性は否定されない。しかし、現住者が殺害された場合は、もはや放火による抽象的危険の発生は非現住建造物と変わらず、現住性は否定される。

③「焼損」の意義

放火罪は、「焼損」したとき既遂となる。この「焼損」の意義について、いかに解すべきだろうか。放火罪は第一義的には、財物ではなく、公共の危険を保護しているものと解される。したがって、公共の危険を重視し、火が媒介物を離れて独立して燃焼した時点を「焼損」と解すべきである(最高裁も同様に解される(最判昭和23年11月2日))。
この他、①建物の重要部分が燃焼を始めた部分とする、燃え上がり説②建物が火力により毀棄罪の程度に損壊した時点とする、毀棄説、③建物の効用が失われた時点とする効用喪失説がある。

④難燃性建造物

難焼生の建造物においては、建造物等の独立燃焼をメルクマールにしては既遂が遅すぎるし、反面、建物の一部に過ぎない可燃部分が燃えても、それ以上延焼しないことが明らかに関わらず、既遂にするのは疑問として、効用喪失説が妥当とする見解もある。しかし、例え有毒ガスが生じて危険が発生しても、それが、建造物自体の燃焼に基づかなければ、これを放火の既遂と論じることはできず、判例(東京地判昭和59年6月22日)も、モルタルが剥落したに過ぎない場合を「焼損」に当たらないとする。

⑤建造物の一個性

放火の対象となった建造物等に対して、どこまでを一体として現住性を判定すべきだろうか。現住性建造物等に対する放火罪がより重く処罰されるのは、放火に基づく公共の危険の発生がより具体的だからである。そして、建物に延焼の危険性という物理的一体性ないし、全体が一体として起臥侵食に利用されるという機能的一体性が認められれば、具体的な危険の発生が認められる。※判例(最判平成1年7月7日)は、エレベーターに関して、全体との機能的一体性から、現住性を肯定している。

⑥建造物の独立性

反対に建物として外観上明らかに一個であっても、当該部分から他の部分への延焼可能性がまったくなく、機能的にも独立している場合、独立した一個の建造物として、現住性を否定しうる。

⑦「公共の危険」

109条2項、110条1項は、客体の「焼損」に加えて「公共の危険」の発生を要求する。この「公共の危険」は、人の生命、身体、財産に危険が生じている状態、すなわち、一般人をして他の建造物等に延焼する危険性を感じる程度の状態を指す。

⑧公共の危険の認識

109条2項にいう「公共の危険」は処罰阻却事由であり、110条1項の「公共の危険」は加重結果であるとして、故意の対象とならないという見解がある。また、判例も「公共の危険」を故意の対象としていない。しかし、放火罪の公共の危険を保護する性格を重視すべきであって、「公共の危険」は構成要件要素と解する。したがって、故意の内容となる。「公共の危険」を故意の内容とすると、延焼可能性の認識、すなわち、他の客体に対する放火の故意と区別がつかないとする批判もありうる。しかし、一般人が危険を感じ得る状態を発生させる認識、認容と、延焼が実際に生じるであろう事の認識、認容は区別しうる。

延焼罪(111条)


延焼罪は、自己所有非現住建造物、自己所有建造物等以外放火罪から、他人所有物へ延焼が生じた場合の結果的加重犯である。したがって、「延焼」の認識、認容は不要であり、基本犯たる自己所有非現住建造物、自己所有建造物等以外放火罪と「延焼」との間に因果関係が認められれば足りる。

未遂、予備


放火罪で未遂及び予備が処罰されるのは、現住建造物等放火(108条)および、非現住建造物等放火(109条1項)の場合に限られる(112条、113条)。

失火罪(116条)


失火罪においても、自己所有建造物等、ないし、建造物等以外を「焼損」したことに加え、「公共の危険」の発生が要求される(116条2項)。